胡乱な日常の真相
 
偶然と必然の日常をレビュー。
 


その他

言葉の速度。

村崎さんのコメントに対してレスを書いていたら長くなったので、こちらに書くことにします。
(でもなんだか年寄りの小言のようになってしまった・・・)

近年の情報化社会の成熟に伴い、情報伝達の速度は限りなく上昇を続けている。話したくなれば携帯電話のボタンを数回押しさえすればいいし、メールは書いて送信ボタンを押せば数秒もたたないうちに相手のメールサーバーへ届く。わからないことがあればインターネットで検索したら数限りないほど出てくるし、ほしい情報はすぐに手に入る。
それらの情報は基本的に『言葉』であるのだけれど、
それ自体には力はない。言葉はただの言葉でしかない。そこに潜在する、発した人の意思が力を持つのだ。言葉はそれを媒介するだけなのだ。それを意識して話をして物を書く人がどれだけいるだろう。言葉をないがしろにしたつけは必ず回ってくる。汚い言葉、安易な言葉、ただ消費するだけの言葉。世の中はそんなものであふれている。だから現代人は説明能力もないし、表現力も低くなる。与えられたものしか吸収しないから想像力も低くなる。供給過剰だから何かをつくろうという意識もなくなる。(つくらなくてもインスタントに与えられるのだから)

言葉は変化していくものだということはわかっているし(『漢字』が中国から輸入されて、それが『かな』になって、という歴史の変遷を考えれば当然である)、情報化のスピードアップによってその変化の速度があがっているのは当然の帰結だ。でもそれに伴って言葉の持つ意味と力(人の意思)が極端に弱くなっているのは残念だ。どれもがうわべで、真実がない。いろんな言葉があっていいとは思うのだけれど、それは言葉を貶めていいということではない。
もっと日ごろから何かを考えて、何かを表現して、言葉を紡ぐという行為をするべきである。
ブログというのはそういう意味ではいい練習になる。

なので皆さん、ブログ、はじめませんか?



4月19日(火)00:49 | トラックバック(0) | コメント(6) | その他 | 管理

結婚、祝い、そしてその先へ。

こないだ会社を辞めた女の先輩が、この日曜日に結婚したそうだ。
なんか、そういうもんなんだなぁ、ってしみじみとおもってしまった。
なにがそういうもんなのかは自分でもよくわからないが。
まぁ、人の人生はちゃんと動いているのだなぁ、という実感というか。
僕の想像できない世界でも、ちゃんと人は生活をして、生きて。
ある人は結婚をして、ある人は子供を産んで。
またある人は旅に出て。
そんな出来事が無数に起こっているのだ。
『きょうのできごと』という映画があるが、その映画を見たときの心境ににているかもしれない。

心からの祝福と祈りをもって。


その人にお祝いとして書いてプレゼントした小説をついでにのせておきます。
よろしければどうぞ。(意外に長いです)
『Winter Leaves』



4月13日(水)02:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理

時間。消費。

僕たちは、時間を消費しながら生きているということを忘れがちになる。
人生というのは限られた時間の中ですごしていくものなのだ。
それでも、日々が停滞し、マンネリ化してくると、時間を消費するという概念が薄れてしまう。
いつのまにかそれは日常になり、日常は堕落へ、堕落は退廃へと。
何も考えなくなり、何も感じなくなる。
食べて寝て働いて。
また次の日も、ただ食べて寝て働いて。
その繰り返し。
ルーチンの罠にはまる。
そこから抜け出すということなど、思いもつかないようになる。
それは、人間性の破棄を意味する。

『時間を、消費しているのだ』

そのことを忘れていると、いつか取り返しのつかないことになる。

だから、僕は考える。本を読む。
今よりも楽しいことはないかと探す。
人間が限られた時間の中でできることなど、大してないのだ。
でも、その選択肢は無限だ。

僕がこうやってブログを書いている間にも、時間を消費している。
つまりは命を削っている。
これを見てくれているあなたも、僕のブログを見て命を削っている。
お互い、大切な命を削っている。
何かを書くということは、それだけの責任がついてくるのだ。
人が何かをするということはそういうことだ。

そんなことを、ふと、帰り道で思いました。
あなたは時間を大切にしていますか?



4月10日(日)23:56 | トラックバック(0) | コメント(4) | その他 | 管理


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