ブログ比較。 |
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| いろんなブログをためしてきたので、その比較など。
ここのブログは、『ぶっとびねっと』(http://www.buttobi.net/)というのをつかっているのだけど、まぁ、あまり高機能ではない。 デザインをバリバリ変えたいとかいう人には向いてないだろう。 ただ、操作の仕方は結構わかりやすいので、初心者にはいいかもしれない。 広告とかがちょっとうっとうしい。
★『アメブロ』(http://www.ameba.jp/) なんだかよくわからない。 便利なんだか便利じゃないんだか、なんともいいようがない。 個人的にはあまり好きじゃない。 使いにくい上、自由がきかず、もどかしい。
★『FC2』(http://blog.fc2.com/) ここが個人的には一番使いやすい。 自由にカスタマイズできるし、シンプル。 どうぞどうぞ好きにやっちゃってください的な雰囲気がいい。 機能も充実、プラグインもあり、好きな機能を自分で足すことが出来る。
ということで、やっぱFC2に移動しようかなぁ、などと思いつつ、 めんどくさいのもあるので、しばらくはこのままかな。
最近、仕事でいろんなCMSをためしているので、 本当はそういうのでブログを作りたい。 nucleus、joomla、xoops、MODx、drupalなどなど。 わざわざサーバを借りてやるのもめんどうだし、 カスタマイズがめんどうだから、やってないのだけど。
そのうちやろうかなー。
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10月29日(日)13:30 | トラックバック(1) | コメント(1) | その他 | 管理
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料理にアケクレ サイトオープン! |
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| この度、『料理にアケクレ』というサイトをオープン致しました!
どのようなサイトかといいますと。 料理に興味を持っている一般の人が記事を書いて投稿していく、パブリックジャーナリズム方式を採用しています。
記事の内容は料理に関わることであればよく、ブログ記事の二次利用も可としています。 ライターへは基本的に原稿料はお支払いしませんが(申し訳ない!)、抽選でプレゼントが当たる企画を行っています。
読んでたのしい、読み物系料理ポータルサイト、という位置付けで考えています。
暇つぶしに見れるようなサイト、 こんな記事が読みたいなぁ、と思ったら誰かが記事を書いてくれるサイト、 そういう気軽さと、おもしろさを目指してます。
皆さんもよかったら見てみてください。 そして、記事を書いてやろう! とおもわれた方、記者登録してみてください。 (別にノルマなんかはないので、自由に自分のペースで書いてもらえればいいので)
ということで、『料理にアケクレ』の方もよろしくお願い致します。
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6月30日(金)18:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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テーマ。『仕事とプライベート』 |
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| 僕がやっているもう一つのブログ、 ブログ版『働くということ』で、テーマを決めて、それに対してみんなで意見を書いてね~、という試みをやってみた。
これ↓ http://hatarakutoiukoto.blog31.fc2.com/blog-entry-31.html
今週のテーマは『仕事とプライベート』 です。 みなさん、思うところがあれば、書いてみてください。 よろしくお願いしますm(__)m
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11月21日(月)17:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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年賀状。 |
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| そういえば、もう年賀状発売されてるんですね。 今年は早めにデザインとか考えといた方がいいかなぁ。 来年は犬年だから、たぶん自分の家の犬の写真を載せる人が多いのだろうなぁ、と予測できる。 なら、ひねらねばなるまい。 と、自らハードルを上げてみたのだけど。 どうしようかなぁ。。。 絵はかけないし、アイデア勝負か。 言葉で誤魔化すか。 なんとか頭をひねってみます。
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11月12日(土)22:04 | トラックバック(0) | コメント(2) | その他 | 管理
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魔性について。 |
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| なぜか、成り行きで『魔性』について考えることになった。 なんとも不思議なものである。 今日の朝には、まさか自分が『魔性』について真剣に考えることになろうとは予想だにしていなかった。 世の中はいつも突然だ。
魔性といって思いつくもの。
・なぜかしら惹かれるもの。 ・後先を考えないくらい夢中になってしまうもの。 ・自分がはまっているのかどうかすらわからないような状態になってしまうもの。 ・理性では律することができず、自己を喪失してしまうもの。 ・おなかがいっぱいでもついつい手を出してしまう、揚げたてのフライドポテト。 ・無条件降伏。
そんなものだろうか。 でもどれも本質をついているようで、ついていないようでもある。 全てはイメージだ。
『魔』という言葉自体、凄くあいまいで不思議な感じがある。 魔法。魔術。魔界。魔球。魔女。 古来、人間はよくわからないもの、自分の知識外にあるものに『魔』という文字をつけてくくってきた。 医学や科学は昔では魔法だったし、自分の知識の及ばない女の人は魔女と呼ばれた。 だから、同じように、よくわからない性質のもの、でも不思議で無条件で惹かれてしまうようなものに、『魔性』という文字を当てた。 理屈ではわからない。技術でもなく、努力でもない。でもなぜか惹かれる。 そんなものだ。
今日、電車の中でとなりに座ってきた18歳くらいの女の子がいたけど、その子は強烈な香水をつけていた。 周りにいる人の嗅覚を全て麻痺して破壊しようとたくらんでいるんじゃないかと思うぐらいに暴力的な匂いだった。 そういうのは魔性じゃない。 魅力ですらない。 ただの間接的な暴力だ。 たぶん彼女は魔性の女には一生なれないんじゃないかと思う。 魔性というのは、香水もつけていないし化粧もしていないのに、ふと振り返ってしまう。そんな種類のものだ。
僕が考えて出した結論は、魔性とは、人が自分自身で作り出す理想を拡大解釈したものなんじゃないだろうか、と思う。 自分の中のイメージでもって、勝手に惹かれ、勝手にはまっていく。 ある人は、茶髪に魔性を感じるかもしれないし、ある人は、唇の下のほくろに魔性を感じるかもしれない。 それはその人の中にある潜在的欲求・理想像が本人の知らないところで表出化したものだから、本人も理解できないし、不思議に思う。 一般的に魔性の女って言われる人は、そういう男の理想を他の女の人よりも多く満たしている女の人だろう。 でも、誰かは誰かにとって魔性でありえる。他の人がそこに魔性を感じなくても、その人にとっては魔性なのだ。 それは魔性を感じる人の方にその原因があるのではないだろうか。
僕たちは魔性なものに対して、あまりにも無防備すぎる。 でも、それは仕方がない。 だって、それは自分の理想が生み出したものなのだから。
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5月16日(月)01:11 | トラックバック(0) | コメント(2) | その他 | 管理
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フリーセル。 |
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| 1年前ぐらいに後輩君の影響でえらくはまった記憶がある。でもこれがなかなかくせもので、パズル性が高くて難しい。 昼休みなんかにやろうものなら、もうちょっとでクリアできるのにやめなくてはいけない・・・、っていう状況になる。これはなかなか辛いものがある。開き直ってそのまま続けるか、人の目を気にして泣く泣くやめるか、どちらをとるかというジレンマ。人間とはこんなときにでも選択をせまられるのである。 次の休憩時間までタスクバーに入れてまっとこうかとも思うのだが、仕事中には非常に邪魔になる。 それになんかの拍子で仕事中に開いてしまったりしたら、遊んでいると思われてしまう。危険だ。
そんなこんなで、しばらくははまったのだけど、いつのまにかやらなくなっていた。今日久しぶりにやってみると、なかなか難しい。う~ん、なんか攻略法とかないのか? と思って、フリーセルの解説サイトを調べていたら、こんなサイトがあった。 ほかにも、こんなのも なるほど、これはわかりやすい。 これからはじめてみようと思う人にはお勧めである。 ただ、このゲームはどうしても一回勝つまでやりたくなるので、その辺の中毒性には注意が必要です(笑)
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5月13日(金)03:03 | トラックバック(0) | コメント(5) | その他 | 管理
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結納。そして結婚。 |
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| 某友人君が結納をするそうだ。 おめでとうございます。 長い間彼女と付き合ってたので、どうなることやら、と思ってたので、ほっと一安心、という感じだ。 中学高校大学と、おなじ学校で。 たまに(ごくたまに)飲みに行ったり、話したりしていた。 優しく語り掛けるその語り口は独特で、またそれがなんとも雰囲気とあっている、気のいいやつである。 話の内容は多岐にわたって、そのどれにも自分の考えをもっている。何も考えずに生きている人が多くなってきた世の中で、その知的好奇心は僕にはすごく輝いて見え、それがまた羨ましくもあった。 それでもそんなことをひけらかしたり自慢げに言ったりせずに、優しく根気よく相手がわかるまで丁寧に説明してくれる。(あまりにも専門的過ぎて自分の世界に浸ってしまう傾向があるにせよ) 時としてそれは難解すぎて僕には理解できないこともあったけど、それはそれで話を聞いているだけで楽しかった。自分が全く知らない世界のことを聞くのはたとえ内容が完璧に理解できなくてもおもしろいものだ。自分もちょっと賢くなったような気になる。賢さのおすそ分け、といった感じで。 いつまでも子供っぽく、それでいて大人っぽく、そんなやつだ。 そんな友人君が結婚するというのは、なんとも不思議で、でも心の底から祝福できる、そんな出来事だ。
世界は君の脳が活躍する舞台としては狭すぎるし、世の中が君の成果によって飛躍的に成長するのを待っている。(と、僕は本気で思っている) これからも頑張ってください。 いつもの柔らかい笑顔がこれからもずっと続くことを祈っております。
彼女さんへ。 これからもあの無邪気な子供っぽさにあきれずに支えてあげてください。そしてダメな時は叱ってあげてください。でも叱った後にはビールでも渡してあげてください。それだけで喜ぶはずなので。
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5月12日(木)02:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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ハレルヤ。 |
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| 人生生きていると、いろんな日があるけれど、僕の人生の中で今日ぐらいハッピーな日はかつてなかったように思う。コロンブスが大陸を見つけた時だって、こんなにハッピーではなかっただろう。 僕たちは確実にいろんなものを落としながら年を重ねて生きているけれど、落としているだけじゃないんだ、といことを今日はあらためて実感した。 こんなに素敵な日があるんだから、人生捨てたもんじゃないな、と思う。 全ての人にハレルヤ!
~ 中村一義 『ハレルヤ』より ~
僕や、あなたも、自分の声で、 やがて祝える日があるとして。
傷、歓びも、明日の夢、 ふわっと、みんな大空を舞うとして。
舞い上がれ、さぁ、上がれ、 舞い上がれ、願いを言え。
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5月9日(月)01:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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今が危機であるということについて。 |
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| 今が変革で激動の時代であるということは、毎日ただ働いているサラリーマンにはまるで現実味のないことである。 サラリーマンは朝起きて働いて夜帰ってきて寝るという生活を繰り返しさえしていればいいだけだからだ。 そして、ある日、気が付くのである。 「なんだか最近の世の中は居心地が悪いな」と。
それは何も他人事ではないのである。 だから、会社の中で、一つの技術のみを身に付けてずっと居座っているような人たちを見ると、警告したくなる。 別に技術が一つしかないからだめ、というわけではない。 技術を二つ三つ、もっと持っていたところで、その人がこれからどうしたいか、とういことがなければ意味がない。 僕が思うに、ソフトウェア産業(業界)というところは、非常に閉ざされていて、技術さえあれば(もしくは、たいした技術がなくても)食っていけるという迷信のようなものがあるのではないだろうか。 実際のところ、その図式はすでに崩壊しつつあるし、会社に依存しきっているような人たちはだんだんと肩身の狭い思いをしつつある。 それでもなお、多くの人は(特に家庭を持っていたり今から新しいことをすることが億劫な人たち)、 安穏として毎日を過ごし、決められたルーチンワークをこなし、定時には帰っていくのである。 そこに疑問はない。 今の生活さえ守れたらそれで満足なのだ。 でも、その生活はいつまで守られるものなのだろうか? そこに保証は?
僕がよく思うのは、今の仕事以外に、常に何か他の道を探しておくべきだ、ということだ。(何かの本で読んだか、誰かから話を聞いたのか忘れたが) 仕事をやめる、会社を辞めるというのはまた別の話であり、自分には他に何ができるのだろう、何がやりたいのだろう、ということを常に意識しておくべきだと思う。 そうでなければ、たとえばいきなりリストラされた時(もしくは転部させられた時)に、ふと我に返って、さて、自分には何が残っている?と思うことになる。 特に、情報系産業は、社員がある一つのことに特化する傾向にある。 この人はこのプログラム言語。 この人はこのパッケージソフト。 では。 その会社をリストラされた時に、それはどこまで世間に通じるのだろう? 誰がその価値を評価してくれるのだろう? たとえば、その人があるパッケージソフトの開発をしていたとして、そんなものは、他の会社からしたら全く意味のないことなのだ。 「私、前の会社でパッケージソフトを開発していたんです」 「で?」
別に転職を勧めているわけではない。 ただ、今の仕事とは全く別の方面にも目を向けて、可能性を探る必要があるのでは、ということだ。 僕の勤めている会社を例に挙げるなら、 ①典型的な中型の情報系会社 ②社内の雰囲気はぬるま湯 ③社員にハングリー精神はないし、上層部ですら怪しい ④社員数だけが多くて、非稼動の人間もいる。生産性は極めて低い ⑤利益なきプロジェクトを営業が取ってきて開発に丸投げするので、赤字プロジェクトが多発 ⑥危機感はまるでない という状況だ。 さて。 こういう会社がこの先どういう末路を辿るのか、そして安穏とした生活に胡座をかいている社員たちがこの先どのような状況に陥っていくのか、それは想像に難くない。
ニュースや新聞で『変動の時期だ』といわれても実感はない。 でも自分たちのうかがい知らない所では確実に変化が起こっていて、それはいつの日か、自分へとブレイクダウンされて、突如現実の問題として眼前に突きつけられるのである。 その時に人ははじめてうろたえるのだ。 もちろん、今やっている仕事は仕事で社会にとって必要なことだろうが、心のどこかで、それが全てではないと第三者的、俯瞰的視点で自分を再考することは必要なことだと思う。 それができている人が、どれだけいるだろうか。
僕たちは現在、望むと望まざるに関わらず、知らず知らずのうちに岐路に立たされているのである。
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4月24日(日)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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文章の書き方。 |
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| 文章を書くときの手法。
『世の中には二種類の人がいる。ひとつは~な人で、もうひとつは~な人だ。』
こう書くと、かなり、お~なるほど、と思わせることができる。これでつかみはばっちり。 まぁ、そのあとの文章が大切なんだけど。(そこでコケると目も当てられたものではない)
うまく使うにはテクがいるけど、見た目かっこいいので、はったりがきく。断言口調がなんとなく気持ちいい。
以上(笑) いや、特に意味はないんだけど、ちょっと思ったので。 (使う機会はなかなかないか~。)
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4月19日(火)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理
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