KAN。MAN。 |
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| 久しぶりに音楽の話題。
最近、僕の中ではKANが熱い。 というと、みんな「なんでいまさら」っていうんだろうなぁ、っていうことは想像に難くない。 まぁ、確かにいまさらではあるけれども、でもいいものはいい。 なんと言おうが、いい。
その中でも(というほどいっぱいCDをもっているわけではないけれど)、『MAN』というアルバムが好きだ。 こないだ近くの図書館に行ったら、タダで借りれたので借りてきてダビング(死語?)したのだけど、素晴らしい。 もう素晴らしいの一言。 音楽性もしっかりしていて、幅がある。 いろんな曲風を使いこなすし、それもかなり作りこまれた感じがある。ディスコ調にも、真面目なバラードも、ポップな感じも。 それでいて、エンターテイメント性にも富んでいて、楽しませる。 人によっては『不真面目な曲だなぁ』と思うかもしれないけど、僕には『遊び心』に見える。まぁ、物は言い様、人によって印象はそれぞれだろうけど。 遊び心をただの『不真面目』にしないだけの実力があると僕は思 う。
KANというと、『愛は勝つ』だけしか思い浮かばない人も多いかもしれないけど、そんなことはない。 結構色々出しているし、僕の中での名曲もたくさんある。 もっと評価されていいとおもうのだけど、なかなか評価されないような感がある。 昔、FM802でミュージックガンボという番組をKANがやっていたときはラジオにかじりついて夢中になって聞いていたものだ。 KANとミスチルの桜井や槇原敬之が1週交代で一緒に曲をつくっていくっていうコーナーがあって、これは画期的だった。 あれはまとめていつかCDにしてほしいと思うのだけど、ならないだろうなぁ。
まぁ、そんな感じで、僕の青春とともにあった音楽といってもいいかもしれない。(そういう音楽は他にもいっぱいあるけど) 誰かこの感じを共有できる人がいれば嬉しいなぁ。
MAN
最近オフィシャルホームページができたので、興味のある人はどうぞ。 かなり面白い内容となっております。 http://www.kimurakan.com/
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10月25日(火)11:56 | トラックバック(1) | コメント(6) | 音楽 | 管理
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音楽&音
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| 現在、日本でも世界の多くの国でも、音楽が盛んです。ラジオ、テレビ、CD・・・消費される音楽は増える一方です。そして音楽を聴くだけでなく、演奏する人の数もますます増えています。これほど音楽が日常生活に満ち溢れている現代であるのに、その音楽によって本当に生活が豊かになっている人がどれほどいるのでしょうか。80年代に「ワールドミュージック」が脚光を浴びたが、結局少なくとも日本では音楽の聞かれかたが大きく変わるということはありませんでした。 かつて生きていた人々と同じようにわれわれははたして音楽によって癒されているのでしょうか。量が増えただけで充実感は必ずしも比例していないように思うのです。音楽だけでなく音という点でも現代はむしろ過剰な音がストレスを生み出しているのも皮肉で残念なことです。 そんな中でこれはいいと言える。これを聴くと癒される、元気がでるという音楽があるのは幸せなことです。 最近音の再生装置であるオーディオ機器に関心があります。正しい音で再生されないと、それは体のための食品が添加物や農薬やらで逆に体をスポイルしているのと同様なことが精神の食べ物である音楽でも起こっていると感じます。 元気がないときこそ音楽が必要なのに、音楽を聴きたくないという状況がある。 これはなんなんだろう? 最近仕事の関係であるスタジオに行った。そこでSACDマルチチャネルの音源をタイムドメイン理論で作られたスピーカーで聴いた。びっくりした。とても自然で不快感がない。会話もじゃましない。 それからタイムドメイン理論に関してネットで読んだ。なるほど、と関心することしきり。MP3を始め圧縮された音楽が脚光をあびている現在だが、高解像度の音源をそのまま再生できる時代なのね、しかもそれは心身に良いのね、と思った。 タイムドメイン・スピーカーの購入を真剣に考えている今日このごろ。 *タイムドメインに関して興味があれば検索すると「タイムドメイン(会社名)」「富士通テン」がひかかってくっると思います。その二つのHPを見ればバッチリ!
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by 村崎武龍 | 10月25日(火)12:30
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凄い・・・。
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| ちょっと色々サイトを見てみました。 ただ単に『鳴る』だけのスピーカーから『再現する』スピーカーへ、というところでしょうか。 一度そのスピーカーで音楽を聞いてみたいものです。
タイムドメインスピーカー、とまではいきませんが、うちでもそれなりのアンプとスピーカーで音楽を聞いています。 ラジカセとは違いますね、やっぱり。 低音が綺麗に響くし、そこでライブしてるみたいな感じが伝わったりします。 コンビニのスピーカーの割れた音、通りすがりのパチンコ屋から聞こえてくる凶悪な音。 そういうのはできるだけ聞きたくないものです。 僕たちはもう少し『音』というものにも真剣な関心を傾けなければいけないのかもしれませんね。
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by もちくん | HP | 10月26日(水)20:41
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一音成仏
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| 「一音成仏」(いちおんじょうぶつ)という言葉がある。 普化(ふけ)尺八の世界の言葉だそうで。 「ひとつの音に徹し、そこに深い精神的(霊的)至福、魂の解放を得ることができるならば、音楽は僅かに一音のみで完結する、という。 人間の行為はそれぞれの「心」のあり方によって左右され、「迷っている」人は、迷いがそのまま行為に現れ、「悟った」人は悟りの生活を生きることが出来る。同じように尺八の「音」は「迷っている」人は「迷った音」しか出せないし、「悟った」人は「悟った」音しかでない、という。 私もハンドドラムを演奏しますが、「一音成仏」そんな音が出せればと思う。 また、そんな音を日常的に聴きたいもんです。
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by 村崎武龍 | 10月27日(木)14:23
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大悟。
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| なるほど~。 そういう言葉があるのですね。 いい響きです。
お釈迦様の弟子で茗荷という物覚えの悪い人がいて、みなから馬鹿にされ、ついには教団から追い出されそうになった。釈迦はそれを止めて、「塵を払い、垢をのぞけ」という一句を与えた。男は、毎日この句を唱えているうちに、他の弟子に先んじて悟りを得ることができた。
と言う話があります。それに通じるものがあるのかなぁ、と思います。
最近の歌(特にj-pop)はあまり切実な感じがないような気がします。訴えかけるものと言うか。 だからそれはそれなりの音しか僕たちに語りかけてこない。 トイレットペーパーのように薄っぺらでただ単に消費されて行くだけのもののように思えます。 そんな中にでも一握りの『本当』を歌う人たちがいて。そういう音楽を聴くと、本当に心を鷲づかみにされたような気がします。
最近格闘技がはやっているのは、最近では失われつつある、そういう『切実さ』みたいなものが格闘技の中にはあるからなのかなぁ、と勝手に推測するのですが、どうでしょう。
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by もちくん | HP | 10月28日(金)12:59
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はは
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| どうでしょう? と訊かれれば応えないわけにいかないですね(笑)。 「切実さ」もあるかもしれませんが、もっと単純に本能だと思います。 人間には動物学者がいうところの「4つのF」というものがあります。Feeding,Freeing,Fighting,Findiing Mate(食べる、(危険から)逃げる、闘う、つがう)のことを指しますが、世の中で人気のあるものはこれと関係がある。 グルメ番組が人気があるのも健康関係の情報番組が人気があるのも、格闘技が人気があるのも、恋愛ドラマが人気があるのも、こうした人間の本能に根ざしたものだから。 こうした本能の奴隷であることから解き放たれてもっと大切なことを考えたいものだと思います。 この世界は人間が作り出した現象で、ひとつの法則で営まれていると思います。それは精神性や心、「思い」や「祈り」と呼ばれるもので、それがあってはじめていまの世界が成り立っていると思います。 どちらが主従かといえば、まず「思い」があって、世界が成り立つ。 世の中ではそうした世界を導く「思い」よりも、目の前に現れている現象に重きを置きがちです。現象に捕われて、それだけを追い求めている。 現代では金やモノがまず動きます。「思い」や「魂」がないままに、少しでも多くの人を騙して巻き上げようとか、少しでもたくさん売れる仕掛けをしてやろうとか。人間ですから欲望もあってOKです。でもバランスを崩してまで追い求めるとどうなるか。善悪は人間の知識の範疇でははかりしれないものです。 能の謡には「善極まれば悪になり、悪極まれば善になる」という考えが表されています。確かに善が極まってくれば押しつけになり、悪となっていきます。 世界は善悪が表裏一体になってうごめいています。でも、それでも人の「思い」が本当に豊潤な世界を呼び起こすのではないかと思っています。 人間は堕落しようと思えば、すぐにでも堕落できます。日々崖っぷちを歩いているようなものです。人にまどわされることなく決断をしていきたいものです。
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by 村崎武龍 | 10月28日(金)16:33
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本能と対決。
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| なるほど~。 納得しました。 本能ってのは確かにそうですね。 血沸き肉踊る、とはよく言いますが、その時点で本能に支配されているんでしょうねぇ。 最近の人間が忘れた闘争本能のようなものを擬似的に・ヴァーチャルに体験できる、というところでしょうか。 プロレスで言うと、さらにそこにストーリー性とエンターテインメント性が加わるから、手軽に楽しめる。 なるほど。この辺ももっと掘り下げたらなかなかおもしろそうですね。
でもやっぱり格闘技が人気になるのは、その本能プラス、そこに強い意志・思い・精神性があるからだとおもいます。 男は誰でも強くなることを一度は夢見る、といいますが、確かにそうです。でも、ほとんどの人は途中で限界を感じて止めてしまう。そのかなえられなかった夢を純粋に追い求めている人たちの意志の強さ、その結果としての肉体的強さ、そして闘争本能。それらが絶妙に組み合わさって、現代人の嗜好にマッチしているんでしょうね。
強さといっても、いろんな強さがあります。僕には僕にしか実現し得ない強さが、何かあるんじゃないかという気がします。 例えば、言い負けない強さ、退かない強さ、知識的な強さ。 自分の強さを見つけて、それを磨く、というのが人間力を上げる一歩かもしれませんね。
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by もちくん | HP | 11月1日(火)08:40
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