胡乱な日常の真相
 
偶然と必然の日常をレビュー。
 

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『村上朝日堂』読了。

最近、なぜか村上春樹をよく読む。
なぜと聞かれても困るのだけど、なんとなくやわらかい文体が好きなのだ。硬からず、柔らかすぎず。たとえて言うならこんにゃくのような感じか。つかみ所がないけれども、それがまたいい味を出している。あのちょっと弾力があって一筋縄ではいかないけれど、歯ごたえは抜群にいい感じ。こんな感じ、理解してもらえるだろうか?
そんな村上春樹作品の中において、短編エッセイばかりを集めたのが、これ。『村上朝日堂』。
もう、肩の力を抜きまくって、豆腐のようなやわらかさである。別に文学的でもないし、堅苦しい話なんて一切ない。すら~っと読めてしまう。時には湯豆腐のように、時には冷奴のように。またある時には揚げ豆腐なんかになっちゃったりして。自由自在である。話題も、まるで豆腐の料理法のように豊富である。毎日いろんなこと考えて生きているんだろうなぁ、って。
かなり古い作品で(古本屋で買ってきた)、別に特別おすすめというわけでもないけど、毎日忙しい日常を送っている人にはおすすめです。電車の中でも何話か読めてしまいます。(だいたい1エッセイが2ページ)
やる気のない挿絵をみるだけでも一見の価値ありです。



Amazonを見ていたら、1円からあるらしい。それってかなり凄いよね。



4月22日(金)03:04 | トラックバック(0) | コメント(4) || 管理

上手い会議と下手な会議。

これはもう、はっきりと分かれます。
参加してて楽しい会議と、全く無駄な時間を過ごしてしまったという会議。
大きな声ではいえませんが、うちの上司の会議はとても下手です。典型的といってもいい。
そんなに会議について詳しくないからあまり偉そうなことはいえないけど、ただパワーポイントで表示する資料をだらだらと説明して、それが1時間半ぐらい続く。もうこれは苦痛以外の何物でもない。
僕はそういう会議では寝るか、文章を書いて暇をつぶすことにしている。だって、あとからそのパワーポイントがメールで送られてくるもんね。なら会議なんか聞かなくてもそれを読めばすむだろ、って。
上手い人の会議ってのは、要点が最初から決まっているものです。今日の議題はこれ、って。それから無駄な部分は省略する。その省略の仕方が難しい。これは別に会議に限らなくて、人に何かを説明するときでも同じことです。自分でも上手くできているとは思わないけど、上手くなりたいとは思います。
それから、上手い人は勢いがある。「なんだ、結局勢いの問題かよ」って思うかもしれないけど、意外に重要です。「よっしゃ、やるで~!」という勢いがあればぐいぐいと人の心を引き寄せて、眠気なんてどこかにいってしまう。いつのまにか身を乗り出して聞いてしまう。それは話術もあるんだろうけど、勢いのない人の話を聞いていると、その人のやる気が透けて見えてしまうからだと思います。
会議ってのは読んで字のごとく、『一同に会して議論をする』のです。ただ資料を読んでるだけならそれは報告会なのであって。「これからどうしていこうか」というのを議論するなら有益だけど、ただ滔々と話されても子守唄にしか聞こえない。そんなの聞くぐらいなら寝ているほうがよほど有益です。

なので、僕の中の結論としては、寝ずにいられる会議がいい会議だ、ということです(笑)



4月21日(木)02:57 | トラックバック(0) | コメント(2) | 仕事 | 管理

新しい靴とホテルのベッド。

新しい靴というのが、僕はあまり好きではない。
他人の靴を履いている感じというか、まだ自分のものになった気がしないのだ。
くるぶしにまだこなれていない硬い皮が当たるし、ふとした瞬間に脱げそうになる。
これが気持ち悪いことこの上ない。
ホテルで慣れないベッドの上で寝る感じだ。
(ところで、ホテルのベッドはどこからがシーツでどこからが掛け布団かがわからない。いつもシーツの間に挟まって寝ている気がするのだけど。みなさんはそんなことないですか?)
しばらく履いていて、やっと慣れてきたころにはボロボロになって買い換えなくてはならなくなる。これは困る。
とても困る。
足になじんでいる期間というのが実に短い。
たまにテレビなんかで靴を何年も大切にして履いているという人を見るけれども、そんなのってどうしているのか全く見当もつかない。
もしかしたらいい靴は長持ちするんだろうか。もっと高い靴を買うべきなんだろうか?
そんなことを思いつつ、結局安い靴を買ってしまうのである。性分というものなのかなぁ。



4月20日(水)02:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

文章の書き方。

文章を書くときの手法。

『世の中には二種類の人がいる。ひとつは~な人で、もうひとつは~な人だ。』

こう書くと、かなり、お~なるほど、と思わせることができる。これでつかみはばっちり。
まぁ、そのあとの文章が大切なんだけど。(そこでコケると目も当てられたものではない)

うまく使うにはテクがいるけど、見た目かっこいいので、はったりがきく。断言口調がなんとなく気持ちいい。

以上(笑)
いや、特に意味はないんだけど、ちょっと思ったので。
(使う機会はなかなかないか~。)



4月19日(火)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、読了。

村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という小説を読んだ。
以下、多少ネタバレもあるかもしれませんが、それはご勘弁を。
なるべくネタバレしないように。
では、以下。

この小説では、『対比』が肝になっている(と思う)。

ある一方の世界では、まったく唄も音楽もない世界で、
もう一方では音楽に満ち溢れている。(それは良くも悪くも、好きなものも嫌いなものも含めて)
(音楽好きの村上春樹らしい手法だ。)

ある一方では完璧だけど閉塞的な世界。
もう一方では不完全で不条理だけど、自由で感情のある世界。

その二つの世界で繰り広げられる幽玄な物語。
知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。
推理小説ではないけれども、だんだんと謎が解き明かされて、
終結に向かっていく様は、そこらの推理小説やSF小説よりもよっぽどおもしろい。
謎が解けてからも物語は続き、最後まで飽きさせない。
う~ん、うまい。さすがだ。
主人公の飄々とした生き方は、確かにハードボイルドだったけども、ほかのハードボイルド小説とはまた一風変わっていて、いたるところに村上春樹な雰囲気が醸し出されていた。
村上春樹もハードボイルドを書いてみたかったんだろうなぁ、とちょっとにやりとしてしまう感じだ。

登場する女の子も対照的だ。
ある女の子は食べても食べても太らない女の子で、
もう一人の女の子は無理矢理甘いものを食べて太った女の子。
一方は夫に死なれた未亡人で、
もう一人は17歳の若い女の子。
世の中は実に対比に満ち溢れている。
そしてそれは人の心の中にも。

ところで、村上春樹ほどセックスをさらりと書いてしまう作家も珍しいだろう。
セックスを描写する際には、二つのパターンに分かれる。
もう極端にエロく読者を興奮させるように煽って書くか、意識してその行為が見えないように隠して書くか。
でも村上春樹はそのどちらでもない。
実にあっさりと、生活の一部として書くのだ。
それは単なるコミュニケーションの一手段に過ぎない、と思わせるような。
挨拶したり、歯を磨いたりするのと同じレベルだ。
それはなんとも清清しいような感じを受ける。
ちょっと固い考えを持っている人(それが普通なのかもしれないけれど)が見ると、
「なんて不埒で軽薄なやつだ。セックスってのはもっと大事にするもんで軽軽しくやるものではない」
と思うだろう。
それも一理ある。
でも、違うのだ。
決して軽軽しくやっているわけではない。
そこにはちゃんとした愛情と責任と精神的感応がある。
だから、主人公は悩むし、拒否もする。
それも含めた上で、だ。
だからそれはいやらしくないし、小説の中にあって嫌な印象を与えない。
普通の作家が書いたらこうはいかないだろう。

なんかおもしろさがあんまり伝えられなかったなぁ。
うまく書けんかった。
ネタバレせんように書くってのは難しい。。。
まぁ、細かい理屈抜きに面白い話です。
読んでみれば、朝まで読んでしまう僕の気持ちがわかるはずです。
長いけど(笑)

おすすめです。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上巻) ( 著者: 村上春樹 | 出版社: 新潮社 )世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下巻) ( 著者: 村上春樹 | 出版社: 新潮社 )



4月19日(火)01:51 | トラックバック(1) | コメント(0) || 管理

言葉の速度。

村崎さんのコメントに対してレスを書いていたら長くなったので、こちらに書くことにします。
(でもなんだか年寄りの小言のようになってしまった・・・)

近年の情報化社会の成熟に伴い、情報伝達の速度は限りなく上昇を続けている。話したくなれば携帯電話のボタンを数回押しさえすればいいし、メールは書いて送信ボタンを押せば数秒もたたないうちに相手のメールサーバーへ届く。わからないことがあればインターネットで検索したら数限りないほど出てくるし、ほしい情報はすぐに手に入る。
それらの情報は基本的に『言葉』であるのだけれど、
それ自体には力はない。言葉はただの言葉でしかない。そこに潜在する、発した人の意思が力を持つのだ。言葉はそれを媒介するだけなのだ。それを意識して話をして物を書く人がどれだけいるだろう。言葉をないがしろにしたつけは必ず回ってくる。汚い言葉、安易な言葉、ただ消費するだけの言葉。世の中はそんなものであふれている。だから現代人は説明能力もないし、表現力も低くなる。与えられたものしか吸収しないから想像力も低くなる。供給過剰だから何かをつくろうという意識もなくなる。(つくらなくてもインスタントに与えられるのだから)

言葉は変化していくものだということはわかっているし(『漢字』が中国から輸入されて、それが『かな』になって、という歴史の変遷を考えれば当然である)、情報化のスピードアップによってその変化の速度があがっているのは当然の帰結だ。でもそれに伴って言葉の持つ意味と力(人の意思)が極端に弱くなっているのは残念だ。どれもがうわべで、真実がない。いろんな言葉があっていいとは思うのだけれど、それは言葉を貶めていいということではない。
もっと日ごろから何かを考えて、何かを表現して、言葉を紡ぐという行為をするべきである。
ブログというのはそういう意味ではいい練習になる。

なので皆さん、ブログ、はじめませんか?



4月19日(火)00:49 | トラックバック(0) | コメント(6) | その他 | 管理

花よりだんご、より安らぎ。

朝から天気のいい一日。
ということで、花見に行ってきました。
巷ではもう散っているという噂が飛び交う中、いやいや、まだいけるでしょう、と意気込んでみた。
ヤフー情報によると(僕の情報源の大半はヤフーなのである。新聞を取っていないものにとってこれほど心強い味方はいない。)、まだ京都のいくつかの場所では満開らしい。
と、いうことで、京都にいったのだけど、巷の噂はやっぱり正しくて、かなり散り気味だった。
人の噂をなめてはいけない。噂だけで銀行が潰れたりする時代なのだ。情報化社会でも口コミの威力は偉大である。あなどりがたし。
まずは、手始めに円山公園。うん・・・、大分散っとるな。でも何本かは満開に近い状態で、とりあえずシャッターを切ってみた。ん、まぁこんなもんでしょう。①

そこらへんをぶらぶらしてから、次は高台寺へ。ここもかなりの散り具合で。でも天気もよくて景色もよかったので、それだけで満足。うん、日本人も捨てたもんじゃない。②

でも、寺に行って思ったのはなんで寺ってのはあんなに無意味に大きかったり過度な装飾をするんだろうなぁ、ってこと。昔の偉い人が出家したりするのは、浮世を離れるって意味もあるんだろうけど、そこには権力の象徴、とか寺院関係にも影響力を与えてやる!とかいった欲望がちらりと見えそうな気がする。もしくは、娯楽があまりなかったから「やることね~な~。いっちょ寺でも作って仏教でも勉強してみますか。」的なノリだったんじゃないか。邪推かもしれないけど。金閣寺なんて寺というよりは趣味で作ったんでしょ、という気もするし。まぁ、それが今まで残ってこうやって僕たちの目を楽しませてくれるのだから、そういう意味では感謝だけれども。

横道にそれました。
んで、高台寺ではメインの桜が見事に葉桜になっておりました。うん、しゃあないな。でも葉桜も綺麗だったので、ここでも。③

カメラと腕がもっとよければもっと綺麗に撮れたんだろうが。それはないものねだりというやつです。

その後、さらに清水寺へ。ほんとよう歩いた。
ここでもほとんど桜は散っていて。うち、数本だけが満開状態だった。ヤフー情報では『満開』ってなっとったのにな。『一部満開』と情報を訂正しとくべきだ。
んで、その『一部満開』を激写。今度はアップで。④

そんなこんなで、ベタな京都観光コースを回ってみました。桜を満喫したというよりは、のんびりとした京都の昼下がりの雰囲気を楽しんだ、という感じで。これはこれでよかったです。
デジカメも最近全然活躍してなかったので、久しぶりに使えてよかった。もっと活用しないとな~。












4月18日(月)00:43 | トラックバック(1) | コメント(2) | 日常 | 管理

いつのまにやら、1000。

いつのまにやら1000HITを超えておりました。
みなさまありがとうございますm(__)m
おそらく、実際見てくれている純人数としては、15人いるかいないかぐらいだと思いますが、それでも毎日のように見てもらえているというのは嬉しいものです。

ただの雑感、戯言を書き綴っているだけですが、これからもよろしくお願いいたします。



4月16日(土)16:34 | トラックバック(0) | コメント(4) | 日常 | 管理

衝撃。大胆にして簡潔。完結。

小鳥(a little bird)さんのところで紹介されていた
高橋メソッド。

プレゼンの手法ということで紹介されていたが、かなり衝撃的だった。
バカバカしいぐらいに単純で、でも斬新。
今までこんなのは見たことないし、ぜひ実際これでプレゼンしている人を見てみたいと思う。
こんなんだったら楽しいだろうなぁ。
なんか機会があれば使ってみたいと思うが、お客さんからは『なめてんのか』って言われそう。
その辺と折り合いをつけてうまく雰囲気を読んでやれば、いけそうだな。

これだったら印象的だし、作るほうの技術もいらないし、受けもよさそう。笑いも取れそう。後ろの人でもよく見える。すばらしい。。。
なにより、一個一個が完結しているのがいい。
頭を切り替えやすい。視覚的にも。
(それに深く突っ込まれそうなら、さらっと流して次に行ってしまえばいい。そしたら次の項目のことで頭がいっぱいになって見ているほうも頭を切り替えそう。)

この手法は世の中というのは実は単純だ、ということを思い出させてくれる。
複雑なことでも、細かく区切って分けてしまえば、根は単純だったりする。昨日紹介した携帯の開発現場なんかはちょっとまた事情が違うけど。
お客さんだって単純だし、細かい数字を見せられるよりは簡潔で小難しくないほうがいいに決まっている。相手にもよるだろうが。

これを実践するのは大分度胸がいるだろうが、ぜひ一度ぐらいやってみたいものである。
みんな身を乗り出すに違いない。



4月16日(土)03:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事 | 管理

地獄と、ちょっと地獄。

世の中には地獄がある。
携帯電話開発の現状
かなり長いが、暇な人は読んでみてほしい。
どれだけ開発現場が悲惨で地獄か、痛いほどによくわかる。
これに比べればまだ今の環境は天国だ。
・・・いや、ちょっと地獄、ぐらいか。

こういう業界ってのは、なんというか、人間的じゃないよね、と思う。
生きることの意味というのを真剣に考えてしまう。(そういう意味では、修行にはなるかもしれない)
自分を消費して結局それが誰かのためになるという実感もなく。
夢もなくて先も見えなくて。
そんな毎日を送ることになってしまう。
人間とは思えないような生活。
何かを守るとか、何かを助けるとか、そんな余裕もなくて、自分が生きていくだけで精一杯。
世の中の便利さってのはそんな膨大で悲壮な労力の上になりたっているのだ。

だから皆さん、コンビニで少々レジの調子が悪かったり、スーパーの特売品が清算のときに値引きされてなかったりしても、あんまり怒らないであげてください。
ちょっとぐらい携帯の動きが遅くても納得してあげてください。
その裏ではいろんな人が頑張っているのですから。



4月15日(金)01:55 | トラックバック(0) | コメント(4) | 仕事 | 管理


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